人生色々とは云うけれど
2008-08-11(Mon)
昨日1日大人しくしていたおかげで少しは楽になったと云うけれど、未だ熱も多少ありますし、念の為に母を病院へ連れて行きました。近く帰省しなければならないのでな。
諸々検査をして頂き、結果、気管支炎だという話。安静が何よりとの事でありました。
その病院の待合室での事。
順番をぼんやりと待っていたら、随分久し振りに顔を見た年上のお友達に遭遇。待合室でブンブン手を振ってアピールしまくりました。
お互い、超~ニヤニヤ。
彼女は私が初めて接客業に就いた、地元の駅ビルに入っている魚屋サンの同期で、現在も当時と同じお店で働いております。私の友達の中では最年長の、母と変わらぬ年のネエサンであります。
ここ数年は年賀状のやり取りばかりになってしまい、仕事が休みの時に顔を見たくて店に行くと居らず、仕事のサイクルがまるで合わなくてお茶する事すらままならない状態でありました。
診察が混み合っていた事もあって、ゆっくり話をする事が出来て良かった。
そして、当然っちゃ当然なのだけれども、その中で聞いたあれこれに、時の移ろいを感じずにはいられませんでした。
高校を卒業したその年、18歳だった当時の私が居た魚屋では、パートとして働いておりました。
もぉこの時から既にパートでしたのよ。そしてレジ打ち職人でございました。数台あるレジ夫々がオープンから夕方までで数千人は裁くという程の忙しさで(=1台1人体制でしたので、1人でそれだけ捌くという事だ)、この忙しさを体験したおかげで、どこへ行っても怖くなかったものでした。ここより忙しい場所は無かったのでな。
バイトちゃん達は当に同年代。大学生のニイサン・ネエサンも居たけれど、朝から夕方までの勤務だった事もあり、彼ら・彼女らが入る頃には上がってしまうので、軽く話はしても、中々仲良くなるまでには至りませんで。
年上のネエサン三昧のパートさんとの方が話をする機会は多く、それに未だ私も若かったのでな。意地悪してくる人も殆ど居らず、ネエサン方には随分可愛がって頂きました。
あれから10年以上が経ち、私も当時のネエサン方の年齢に段々近付いて参りました。
その分、ネエサン方も年齢を重ねられました。
今でも現役で頑張ってらっしゃる方。
店を辞めて他へ行かれた方。
自分で会社を興した方。
それぞれなのだけれど、その中で、今の私の接客スタイルの基礎となる事を、厳しくも愛情をもって教えて下さった先輩ネエサンの、何だろうな、人生の変遷っつーかな。その話を聞いた時にはびっくりでした。
私の事ではないので詳しい所は割愛するけれど、店の人と再婚→店を辞めて2人で飲食店を始めた後に紆余曲折があり、様々な変遷を経て、今では西の地域で占い師をやっているとは。
いやいやいや、人生とは判らぬものだ。
また、制服のジャンパースカートのサイズが合わなくて困っていた私に「判った、私に任せろ!」と、男前度たっぷりに云い放って、次の日には丁寧に作り上げたお手製のジャンパースカートを持って来て下さったネエサンは春に亡くなり、今夏が新盆だという。未だ50歳を過ぎたばかりだったのに。
別のネエサンも亡くなってしまっていた。最初は怖かったけれど、実は優しいネエサンだった。
改めて、『さよなら』を云わないままに別れる事の多さを感じさせられました。
みんな、あの場所で一緒に働いていたのにね。
「近い内に、今度はお茶しながらお喋りしよう!」と云って、今日はお別れ。
ああ、それにしても。
本当に人生、色々ですなぁ。
諸々検査をして頂き、結果、気管支炎だという話。安静が何よりとの事でありました。
その病院の待合室での事。
順番をぼんやりと待っていたら、随分久し振りに顔を見た年上のお友達に遭遇。待合室でブンブン手を振ってアピールしまくりました。
お互い、超~ニヤニヤ。
彼女は私が初めて接客業に就いた、地元の駅ビルに入っている魚屋サンの同期で、現在も当時と同じお店で働いております。私の友達の中では最年長の、母と変わらぬ年のネエサンであります。
ここ数年は年賀状のやり取りばかりになってしまい、仕事が休みの時に顔を見たくて店に行くと居らず、仕事のサイクルがまるで合わなくてお茶する事すらままならない状態でありました。
診察が混み合っていた事もあって、ゆっくり話をする事が出来て良かった。
そして、当然っちゃ当然なのだけれども、その中で聞いたあれこれに、時の移ろいを感じずにはいられませんでした。
高校を卒業したその年、18歳だった当時の私が居た魚屋では、パートとして働いておりました。
もぉこの時から既にパートでしたのよ。そしてレジ打ち職人でございました。数台あるレジ夫々がオープンから夕方までで数千人は裁くという程の忙しさで(=1台1人体制でしたので、1人でそれだけ捌くという事だ)、この忙しさを体験したおかげで、どこへ行っても怖くなかったものでした。ここより忙しい場所は無かったのでな。
バイトちゃん達は当に同年代。大学生のニイサン・ネエサンも居たけれど、朝から夕方までの勤務だった事もあり、彼ら・彼女らが入る頃には上がってしまうので、軽く話はしても、中々仲良くなるまでには至りませんで。
年上のネエサン三昧のパートさんとの方が話をする機会は多く、それに未だ私も若かったのでな。意地悪してくる人も殆ど居らず、ネエサン方には随分可愛がって頂きました。
あれから10年以上が経ち、私も当時のネエサン方の年齢に段々近付いて参りました。
その分、ネエサン方も年齢を重ねられました。
今でも現役で頑張ってらっしゃる方。
店を辞めて他へ行かれた方。
自分で会社を興した方。
それぞれなのだけれど、その中で、今の私の接客スタイルの基礎となる事を、厳しくも愛情をもって教えて下さった先輩ネエサンの、何だろうな、人生の変遷っつーかな。その話を聞いた時にはびっくりでした。
私の事ではないので詳しい所は割愛するけれど、店の人と再婚→店を辞めて2人で飲食店を始めた後に紆余曲折があり、様々な変遷を経て、今では西の地域で占い師をやっているとは。
いやいやいや、人生とは判らぬものだ。
また、制服のジャンパースカートのサイズが合わなくて困っていた私に「判った、私に任せろ!」と、男前度たっぷりに云い放って、次の日には丁寧に作り上げたお手製のジャンパースカートを持って来て下さったネエサンは春に亡くなり、今夏が新盆だという。未だ50歳を過ぎたばかりだったのに。
別のネエサンも亡くなってしまっていた。最初は怖かったけれど、実は優しいネエサンだった。
改めて、『さよなら』を云わないままに別れる事の多さを感じさせられました。
みんな、あの場所で一緒に働いていたのにね。
「近い内に、今度はお茶しながらお喋りしよう!」と云って、今日はお別れ。
ああ、それにしても。
本当に人生、色々ですなぁ。