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2019/11
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東北地方太平洋沖地震
先週の金曜、11日の午後。
オフだったもんで、のぉーんとPCをいぢりながらTVを見つつ過ごしておりました。
全く抜けきった状態の中で起きた地震。私が暮らす街は震度5弱との事でした。
我が家はマンションの8階にあるので、少々の揺れでもかなり揺れるのだけれど、あんなに長く激しく揺れたのは初めてだったなぁ。

あの日は弟(下)が家に居てくれたので不安感は少なかったけれど、あの状況で1人きりだったらパニックを起こしていたかも知れない。
揺れが来て、しかも中々収まらなかったので、大声で弟(下)に部屋の窓とドアを開ける様に指示、私の部屋は玄関のすぐ脇なので、玄関のドアを開けて収まるのを待っていました。外を見ると、同じ様にドアを開けて様子を窺っている多くの住民。こういう事って先ずないものね。

揺れが収まった後、安心したか一気に震えが来て。弟(下)と半笑い状態だったのだけれども、つけっ放しにしてあったTVを見て愕然。何だかものすごい事になっている。
数分間隔でやってくる余震に緊張しながら、先ずは出来る事をと、食器棚に目張りをし、水を湯船とバケツ・ペットボトルに汲み置きし、どうなるか判らないのでご飯をしこたま炊き、いつでも持って出られる様にと、簡易避難袋を作って玄関に置いたり。

同時進行で、先ずは家を空けている両親と弟(上)、そして一路に電話を入れたものの、まるで繋がらず。
そうこうしている内に弟(上)からメルが来て、そこでメルの存在に今更の様に気付きましてね。未だ通じやすかったメルで一路や友達たちに連絡を入れました。
が、それから程なくして送受信がし辛くなりましたね。送れたのはタイミングが良かったのかも。

時間の経過と共に色んな事が判って来て、最大の被害は東北地方だった事を知り・・
すぐに親戚に連絡を入れてみましたが、やはり繋がりませんでした。そして未だに繋がりません。
幸い、別の従姉妹がメルをしたところ、親戚の1人とは連絡がついたのだけれど、同い年の従姉妹の安否は判りません。
ばあちゃんは寝たきりで、自分で動く事も喋る事も出来ない。海から程近い場所にある病院に入院中なので、病院さえ無事であれば問題ないだろうと。
ネットで調べてみたところ、その病院が避難場所になっているらしい事を知ったので、一先ず安心して良いんだろうと思う。

私の父方のばあちゃん・親戚達の多くは岩手県の釜石と大槌に居ります。
福島・宮城、そして同じ岩手県でも陸前高田や大船渡・宮古の情報はTVやラジオ、ネットを通じて入って来るのですが、私が1番知りたかった釜石と大槌の情報は中々得られず、とても歯痒かった。

そして、昨日の出勤前。
ある局で流れた映像は、釜石が津波に飲みこまれる瞬間のものでした。よく知る場所がいとも簡単に消えてしまったという事実を受け止める事が出来ず、ショックでただただ涙が出るばかり。
高台で為す術もなくその様子を見ていた方々の悲鳴と泣き声を、きっと忘れる事は出来ないでしょう。

今日になってから、漸く大槌の映像が入って来る様になりました。
一昨日の段階で『全域で大火災が発生しており、町は壊滅的だ』という情報は流れていたものの、にわかには信じられなかった。信じたくなかった、という方が正しいのかも。
けれど、海側から陸に向けて映した映像を見て、その余りの凄惨さに目が離せなくなりました。

大槌にも親戚が何人か居て、何度も家に行った事があるのだけれど、その内の1軒は浪板海岸のすぐ前。
おばちゃんは脚が悪いので、杖が無いと歩けない。付添うおじさんも高齢。無事に逃げられただろうか・・
そう思っている時に入って来たのは、町民1万5千人の内、安否確認が出来たのは避難が出来た3千人足らずで、残りは未だ確認が出来ていないという事実。愕然としました。


美しい三陸の景色が思い出される。
蒼い海は澄んでいて、日本海側のそれとも、はたまた西の方のそれとも、全然違う色を見せてくれる。
大好きな場所がいっぱいあった。大好きな景色がいっぱいあった。想い出の場所もまた、いっぱいあった。
でも、記憶の向こうにある同じ景色をなぞる事はもう出来ない。

自然の猛威を前にして、私達は余りに無力だ。何も出来ないなぁと、つくづく思う。
ただ祈る事しか出来ない。けれど、その祈りの持つ強さも知っている。
この想い、どうぞ距離を越えて届きます様に、被災された多くの方々の元に。

今回の事で多くの友達たちから、励ましの言葉やメルを頂きました。本当にどうもありがとう。
Teitterやmixiをフル活用して、情報やら元気やらを頂きました。本当にどうもありがとう。
改めて感じたのは、日本は未だ未だ捨てたもんじゃないよね、という事。

40時間以上振りに救出されたおじいさんの言葉を思い出す。
「大丈夫、また再建していきましょう!」と、笑顔で云った。
本当にそうだ、諦めなければ終わらない。

出来る事を全力でやろう。
いつ『その人』になるか判らないもの。お互い様だもの。
ね。
Secret
(非公開コメント受付中)

No title
震度5!
体験したことはありません。
さぞ恐ろしかったことでしょう・・・

そして御親戚の安否、ご心配でしたが、
諸事情で「つぶやき」の場所に書き込むことは控えていました。
blogならば事情がちがいます。

どうか、皆様ご無事でありますように!
どうか、一刻も早く「普通」の生活に戻れますように!

そしてまやさんも、心穏やかに過ごせる毎日が、
1日でも早くやってきますように!

こちらからは、要請を受けていること、出来ることだけを
日々進めていきます。
支援は長期に渡ります。たぶん数年単位に。
この数週間だけで終わらないよう心しておきます。

これは、まやさんにはあと数週間、数カ月後に、
必要になるかもしれない言葉です。
愛する佐野元春の詩です。貼りますね。

http://www.moto.co.jp/
No title
そうか・・・親戚がそっちにいたんだ。
無事だといいんだけども。。。
津波なんてなければ
ここまでひどくならなかったのに。
ホント、我々なんか弱いもんだわ。

電気を節電のため、くらーい部屋にいます・・・
もう少し暗くなったら電気つけよかな。
いつもより、電気つける箇所減らしております。
少しずつ、できることをやっていきます。
No title
追記です。

佐野元春氏の詩の中で「弔い」という言葉があり
今は不適切だとは思いましたが、
これは決して亡くなった方を思う詩ではなく、
日本中の人が、被災した方、安否がわらない方を心にとめ
苦しいけれど、でも日常生活を、経済活動を続けることが今出来るベスト、
それを淡々とこなす人を「不謹慎」と責めることなど誰もできない、
という詩だと思っています。

今はただ、不安と悲しみでいっぱいの日本中ですが、
自分の生命をまっとうすることが「不謹慎」と言うこと、言われることがあっても、
恥じることなどないんだと、数週間、数カ月後に
気付くのではないかな、と。
No title
>Juryサン
本当の闘いは、寧ろこれからなんですよね。
遠く離れた私達は『喉元過ぎれば・・』的になりがちですが、出来る事を全力でやっていきたいと思います。

多少の不便がどうしたって話です。
被災された方々は桁違いの不便を強いられているのだから。突然、日常をもぎ取られて。

それと、素敵な詩をどうもありがとうございました!
繰り返し繰り返し読みました。
色んな形で想いを届ける方法があると思う。やれる事もあると思う。
ただひたすらに、届けと願ってます。強く、強く。
No title
>Gen
そうなの、父方の親戚はみんな、釜石と大槌にいるの。
少しずつ状況が判って来たし、こちらが知りたい情報もいずれ判ると思う。

何でもいいから、出来る事を継続してやっていきたいよね。
それが何かしらの役に立つのであれば、そりゃもぉ協力するさ。
いつどうなるかなんて判らないし、自分達が当事者になる事だってあるんだもの。

大事、大事。頑張っていこう。






プロフィール

まや

Author:まや
万年思春期・三十路女子の日々のつれづれ。
日常、切り売りしております。
今日も今日とて桃色吐息。
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